⁂カワウソパパのブログ⁂

社会人歴7年目のカワウソです。

『苦悩編』小学校クラブチーム同期との関わり方

お疲れ様です、
社会人歴7年目のカワウソです。
妻とは結婚して3年目、
もうすぐ一児のパパになるカワウソです。
出産予定日まで残り2日。
1秒でも早く会いたいから元気に出てきてね。

今、子どもが産まれてくる前と、産まれた後の
計算を色々としておりますが、
本当に、子どもはお金持ちの人が
持てるモノだなとつくづく思います。

一般の方が1〜3人ほど授かろうと思ったら
自分たちの時間とお金をスレスレまで犠牲にして
何とかやっていける計算なので、
個人の自己犠牲の元に出来るイメージです。
それは誰も若い方は産みたくないと思います。
早く政治が変わってくれないと、
いつまで経っても長期的に見たとしても
少子高齢化の流れは止まらないと思います。

カワウソ家は共働きのお互い正社員だからこそ、
子ども1人だけならそんなに無理せず、
自分達の事も大切にしながらやっていけると思い、
経験として子どもを望む選択をしました。
大事に大事に自分達なりに
家庭を築きたいと思います。



すみません。今回も前置きが長くなりましたが、
6つ目の話題として、
小学生時代の同じ
クラブチームの子達との関わり方で
とても悩んでいた時期をどう過ごしたのか。
そのような記事を、
体験談交えて記事に出来ればと思います。
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大前提、この苦悩編は、
自分はこのようにして乗り越えてきた。
という事であって、
大多数の正解です!のように
価値観を押し付けるつもりはございません。
人それぞれ悩みの受け止め方、
考え方ひとつで、
答えは無数にあると思っています。
同じような悩みを持っている方が、
この記事を見た際、
少しでも参考になれば!という思いで、
これからも投稿して行こうと思っております。
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1.(小学校1-2年生の時

小学校1年の終わりまでは、幼稚園の頃から
ずっと続けてきた
スイミングと空手をやってました。
小さい頃から、ずっと
友達もいる中やっていたので
本当に楽しく伸び伸びとしていました。

ただ、前の記事の苦悩編でも書いた通り
小学校2年生になるタイミングで、父親の転勤で
引っ越す事となり、習い事は全て辞めました。
そして、同じクラスの子たちに地域性の関係で
喋り方が変と言われて、
いじめられる日々でした。

何が良いかもわからず、母親も
ママ友との繋がりなども、
きっとあったかと思います。
習い事をしよう!となる事が無かったです。

ただただ毎日苦痛で、唯一の楽しみは
家に帰ってポケモンや、
ドラクエをする事でした。
個人プレイできるゲームで、
兄にボコボコにされる事もなく
平和なゲームでしたので。笑



2.(小学生3-4年生の時)

小学校3年生の時に、いじめっ子のリーダーに
私がその遊びを得意だとは一切知らず、
挑んできたゲームで圧勝した事によって、
パタンといじめは無くなりました。
(こちらも、前回の苦悩編で詳細載せてます)

どんなにハンデを背負っても
勝つ事で、少しずつ尊敬もされるようになって
あまり喋れてなかった子とも
喋れるようになってきました。

そのタイミングで、私は野球を
やっている子たちと主に仲良くなり、
その影響で野球に興味を持ち始めました。
(これは、サッカーをやっている子たちと仲良くなったら、私はサッカークラブに入っていたのかなーと今でも思います。笑)

ただ、このタイミングで私の父親と母親の
関係が少しずつ悪くなってきた時期でした。
毎日喧嘩ばかりで、習い事をさせて欲しいと
言えるような状況ではなかったですね、、。

もし、このタイミングで親も仲が良く、
野球もさせてもらえていたら
同じチームの子との
関係に悩まずにいたと思います。
結局は5年生の終わり頃にやっと
親がギスギスした状態ではありましたが
クラブには入れました。

しかし、何故この記事の題名にもなっている
仲良い子がやっている野球クラブで、
悩んだ事なのかは、
次を見て頂ければと思います。



3.(小学生5-6年の時)

野球クラブでは父親がコーチ、
母親がマネージャーを担当してもらえました。

しかし、私の親がそう言うものに参加出来る
状況では無かったので、子どもながら変に
肩身が狭かったのを覚えてます。

さらに、小学校低学年から始める子と
中学年、高学年で始めるのではものすごく
経験と技術で差が出来ます。
同い年で僕のように5年生の終わり頃に
新しい事を始める人は私だけでした。
一番遅い子でも小学4年生の最初辺りでした。
私が入部して、すぐに
自分達が最終学年になって、
レギュラーになっていない
同級生は私だけでした。

学校で仲が良いのと、クラブチームで
楽しくやるのは本当に別だと私は思います。

自分は、練習試合の代打で
出して頂けるくらいで、私を出すなら
自分よりも長くクラブチームで頑張っている
次期レギュラーになる予定の子らを中心に
出してあげる方が良いという流れもありました。

キラキラ輝いて活躍している同級生を
ベンチから声出して応援しているだけの
自分がものすごく悔しかったですし、
あの次期独特の、
今思うと可愛らしいようなプライドも
ボコボコにされて、それはそれで地獄でした。

この時の悔しさがあるから、バネに出来て
中学でも野球を続けて、
60人ほど部員がいる中で努力を重ねて
レギュラーを勝ち取れたと思います。
(7番ライト。中途半端な位置ですね。笑)

中学入った時に一部は硬式に行きましたが、
軟式野球部に入った際、同じクラブチームで
部活も一緒になった際、あれだけ試合も
出させてもらえなかったのに

「あ、カワウソ野球続けるんや。笑」

という雰囲気で、さらに他のクラブチームでも
主力を張っていた方もたくさんいたので、
肩身が狭い狭い。笑 
最初からある程度、試合などで
仲良くなっている人が多く、
この時も一年間ほど地獄でしたね。笑

よく、この時期をこの時の
カワウソは頑張って乗り越えてくれた!
本当に偉い!と今の自分は思います。

小学校高学年の時期を乗り越えられたのは、
やはり紛れもなく、野球に誘い続けてくれた
同級生の存在がかなり大きいです。
向こうは向こうで、私を可哀想だなって思いで
私との関わり方に悩んでいたと思います。

一部はやはり見下すような
態度をとる子もいましたが、
同じ目線で話してくれて、下手でも一緒に笑顔で
楽しみながら一年間一生懸命に練習、
試合が出来た事は、
小学校6年間で1番の宝のような時間でした。

 

一緒に頑張ってくれたみんなに感謝の気持ちで溢れておりますし、あの時の自分頑張ってくれてありがとう! 過去の自分にも頭が上がらないです。



今回は、ここで一旦
『苦悩編』はストップします。

次回、どの話でも学生時代が
メインになりすぎている為、
一度学生時代を飛ばして、
新卒時代に苦労した事を
メインにお話ができればと思います。

 

作成時間:1時間32分
2837文字

 

〜継続は力なり!〜

これからもカワウソ家族の(主にパパの)
行く末を温かく見守って頂ければ幸いです、、、。
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